十二指腸潰瘍とボク

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ずいぶんと昔ですが、十二指腸潰瘍を患いましたです。
「空腹で胃が痛い」というキーワードを見たり、思い出す度に思い出してしまうわけですが、せっかく思い出したので、ココに残しておこうと思います。ただの記録です。
そもそも、十二指腸潰瘍とはなんぞや、という方。ググれとか Wiki 見ろとは言いませんが、詳しくはそちらを。必要最低限のことだけ、ひとまず引用しておきます。

胃壁を溶かそうとする酸である攻撃因子と、胃壁を守る防御因子の平衡が崩れて潰瘍が起こると考えられている。 [I]from Wikipedia

ピロリ菌が影響している、というのはもう十分に浸透している話ですよね。

発症から改善まで、時間経過とともに綴ります。今日はそーゆー日です。

中学三年生
発症は中学三年でした。速いです。尋常じゃないです。フツーなりません。そもそもの原因は特定できていませんが、医者からは「酒」か「ストレス」だな、といわれました。主原因の最初に「酒」を持ってくるところがかかりつけ医ですね。こわいです、いろいろ。
酒による人生の転換期(悪い方)は幾度となく訪れていますが、これがそれに当たるかどうかは、皆さんの想像にお任せします。ちなみに、中学生は飲酒禁止です。

閑話休題、さて、そもそもはどんな感じだったのか。もう、ほぼ 20年前のことなので、うろ覚えですが、とても大変な目にあったことは未だに覚えています。痛みが重いです。十二指腸なので、少し右側下より、肋骨がちょうど無くなるあたりの部分です。このあたりが、夜になると特に痛くなります。はりきって寝られません。おかしいです。
最初は胃に違和感を感じていただけだったと記憶していますが、痛みは唐突にきました。それも決まって、空腹時です。さすがに、こんなに痛いのはおかしいとすぐに、胃腸科のあるかかりつけ医へ。今では考えられないほどの細身で、若かったので、反射で飲み込むことのできない可能性が高い胃カメラではなく、バリウムです。ちなみに、味は炭酸ソーダ。なにがきついって、ゲップしちゃいけないってムリだろ、おっさん、コラ。というわけで、2回くらい飲み直しました、ホント最低です。

結果、「潰瘍だねー」ってよくよく考えたら、バリウムで分かるほどの潰瘍って凄くね、オレ。
このころは、ピロリ菌や、恒久的な良い解決策は特になかったので、H2ブロッカーが処方されてました。今だと病院でも手に入る、ガスター10ですね。これはよく効きます。効きますというか、痛みが無くなります。すぐに痛みがなくなるので、魔法だと思いました。このときは。はっきりいって、こんな薬でごまかしたってムダなんです、潰瘍ってヤツは。

この頃、H2ブロッカーを飲み始めた前後、下血がピークでした。鮮血色ではなくどすくろい色でしたが、とにかく痩せてるのもあいまって、血が少なくなってました。一度、トイレで用を足そうとしたときに、人生初のブラックアウト。頭を便器に強打して、さらに意識を失うという事案が発生しました。頭はものすごい痛かったですが、貧血で倒れるのって、あんなに気持ちいいんですねww もう一度、くるといいな貧血。

高専時代
時は移り、高専生です。華やかな高校デビューが決まって(オタクが多かっただけという説が一番多い)、まだオタクを続けていたあたしに待っていたのは、潰瘍の天どん [II] お笑いの業界用語:同じようなネタを、繰り返す事 です。一部を引用します。

通常、治癒後、何ら治療をしない場合の1年以内の再発率は約70%あるため、潰瘍治癒後も、H2ブロッカー、防御因子増強薬などの投与による再発予防を目的とした維持療法が行われた。 [III]from Wikipedia

そうです、再発率がとにかく高いんです、こいつは。なので、ほとんど毎年、あるシーズンを迎えると激痛が。それでいて、病院嫌い(バリウム嫌い) なのでどうにか耐えようと、暴飲暴食が始まります。前述したように、潰瘍は空腹時の胃酸の出過ぎが、潰瘍と反応して激痛に変わります。民間療法としてすべきことは1つ、胃の内容物が無くならないようにすること。これで痛みからは遠ざかるわけです。
そんなこんなで、朝から晩まで、ずっと食べ続けることに。食事の回数は 1日平均 5回で、量も 3人前とかでした。でも、複数の要因(激務のバイト、自転車による運動、若いから猿のように朝から晩までゲフンゲフンな運動、そして胃腸の疲労による栄養吸収過小)により、1kg も増えませんでした。成長による体重増加は勿論ありましたけど、高専卒業時には 170cm で 52kg ととんでもないことになってました。信じられない暴飲暴食してたにもかかわらずです。(大瓶ビール 1ダースとか) この暴飲暴食は、将来にとんでもない事案へとつながるのです。ババン!

社会人-そして回復へ
一応、数年に数度は病院でバリウムを飲んで、H2ブロッカーもらって、という生活を繰り返しつつも卒業して社会人になりました。
ついに、ココで私は人生の転換期を迎えることになるのです!! ババン!!

会社はいってからも、やせすぎで体調を崩すことが多く、医務室の住人になってました(小中高とずっと医務室の先生と一番の仲良しでした)。そんな風に仲が良くなったことをきっかけで、一人の大学病院の先生と知り合いになりました。そのころは、うちの会社も金が多少あまっていたので、会社の医務に毎日日替わりで、大学病院の先生が来ていました。
数年通い続けているうちに、さすがに、この潰瘍のことが漏れ、人生初の胃カメラ検診となりました。さんざん避けたんですが、「死ぬか死なないかどっちだ」的なことを言われて生きることを選択しました。女々しくてごめんなさい、まだ死にたくありません。
さて、そんな胃カメラですが、慢性気管支炎や顎が小さいことも多少あったのかもしれませんが、年齢で見ても体の脊髄反射がすごくて、胃カメラを入れることは相当なムリでした。いろんなものを吐きながら(吐くものがないので、最後吐血してました)、壮絶な検査の結果、重度の潰瘍であることが判明、さらにこの頃ちょうど調査中であった、ヘリコバクターピロリの採取にも成功しました。
まだ、潰瘍の原因としてピロリ菌が影響しているかどうかは、日本では調査段階でありましたが、たまたま、その先生が、東大病院でピロリ菌の研究に携わっていたうちの一人で、私に白羽の矢が立ちました。

医者「いい素材だ、なぁ、君、ココにサインをして、この薬を飲んでみないか。」
オレ「絶対やばい気がする、オレ、実験タ」
医者「ただ、だ」
オレ「やります」

的な流れで、当時研究中だった、ピロリ菌を除菌する薬を 2週間飲み続けることになりました。副作用があるから、といわれましたが、その副作用自体は、自分がいつもなっている状態(軟便)だったので、薬の所為なのか、普段からの所為なのかさっぱり分からずに、困ることにはなりました。
そして 2週間。ほぼ忘れることもなく、投与が完了し、最後の胃カメラ検査です。もちろん、このときもいろんなものを吐瀉した気がしますが、看護婦さんが優しすぎて何度も泣きました。凄いデブだったのに。

その結果、ピロリ菌 0 オールクリアー!!! となった私は、胃炎にすら悩まされることなく、暴飲暴食を繰り返したのですw

はい良かった。無事に治りました。良かった。完治です。弱かった胃が強くなりました。なに食っても平気です。痛くもかゆくもありません。大団円、とはまさにこのことか!!

なんてことはなく、夢ははかなく崩れるのです。
また潰瘍になったか?

いえ、上にも書いたように胃炎にすらならない快適生活を未だに送っています。しかし、あの暴飲暴食の生活が私をとんでもない世界へと連れ出していったのです。
治癒後、食事量は高校の頃と変わらず、毎日 3,000Kcal とかでした。治癒まではそれでも良かったんです。それが、治癒後は食ったら食っただけ太るようになってしまったのです・・・!!!11
入社時 54kg(体脂肪率 1桁) だった体重はめきめきと増え、20代後半の時に、ついに 69.8kg/体脂肪率 24% over を迎えるに至ったのです。個人的には肉がついたとは感じても、太ったという認識がずっとありませんでしたが、70kg のボーダーが見えたとき、危険を察知しました。しかし、時既に遅し、γGTP 、コレステロール、尿酸値は基準値を超え、会社の専属医師からもだめ出しです。食事制限が繰り返され、肉を断ち、玉子は1日1つに制限し、魚の卵は年に数度のお楽しみ。食事の量は 0.8人前とどんどんと制限されてしまうことになるのでした・・・。が、これはまた別のお話。

References

References
I, III from Wikipedia
II お笑いの業界用語:同じようなネタを、繰り返す事

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