W成人式を迎え、二十歳の自分に対して、なにか言ってやることがあるかどうかを考えてみた

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今日の今日まで、不惑 = 2度目の20年 というコト気がついていなかったので、幸せに暮らしていたんですが、不意に「成人式」という言葉を見ていたら気づいてしまって、おそろしいほどに凹んでます、しょっさんです、( ノ゚Д゚)こんばんわ。

折角の W成人式なので、若造どもになんか一言くれてやろうかと考えたのですが、1月末に若い人向けに LTする内容と丸かぶりになってしまうことに気がつきました。そこで、この 20年間を振り返って、二十歳の成人式をむかえた若かりし自分に対して、なにか言ってあげることがあるだろうかと考えてみました。
要するに、自分の半生の反省というオヤジギャグを思いつく程度には、年を取った私の人生の振り返りをしてみます。

目次

酒は 2杯にしとけ

思えばお酒に飲まれた人生でした。
「一日 2杯でやめよう」と暮らしていた頃が、一番平和だった気がします。この 20年間のうち、合計で 1年もないと思いますが、そうやって慎ましく生きていた頃もありました。
酒なんて飲めたからってえらくはないですし、酒を飲みすぎて失敗することはあっても、成功するコトなんてほぼないです。後悔しか生まなやっかいなものでありながら、日本ではお酒は飲めた方が、生きやすかったりするからホント面倒です。
でも、それはただ、その宴に「いる」と言うこと自体が大切であって、お酒が飲めたり飲めなかったりではないんですよね。「オレの酒が飲めねぇのか」なんてことに巡り会ったことはないです。もし、お酒が沢山飲めたら良いなって時は、一緒にのんでいる相手の女子が酒豪だったときくらい。でも、そんな酒豪のほうがオレよりそもそもお酒は強いので、やっぱり適当に酒は切り上げて、女子に酒を飲ませて酔っ払わせてる方が楽しいわけです。

お酒飲めなかったら、テンションについていけないんじゃないか?
という心配をする必要がないほどに、まわりのテンションにはあわせて生きていけるので、酒の力に頼る必要なんて腐るほどないです。お酒が飲めてバカをしてしまった所為で、もうどうしようもない公開をして、自責の念にかられる事例が腐るほどあるので、こんなことなら、酒なんて飲めないに限ります。

ということで、酒はちょっと気持ちよくなるところで止めておくのが、一番です。過ぎたるは及ばざるがごとし。オレにとっての酒は 2杯がちょうど良い。

家に帰れ

思えば 20代のコロは家に帰らない日々でした。上記の通り、酒にのまれていたのもあるわけですが、すげー働いてました。
「今日の会議 12時からね」と、深夜0時から開始するような、ウソのようなホントの会議がよくありました。30歳前後の頃ですが、あの頃はおかしかったなーとは思います。一緒に仕事していた人も若かったからということと、ITサービス業が立ち上がり始めて、まだうまいやりかたが分からず、今なんかよりもどう考えても人が居なくて、障害が起きれば全て対処しなければならないし、それでいて新しい提案活動にも参加しなければならなく。
それでいて、早く帰れるとしても、夕飯は家ではなく同僚と酒を飲みながらするのが基本で、いつも外で遊び歩いているかのようでした。

アレは失敗だった。時間も金も失った。
仕事で一時的に忙しいことはあるだろうけれども、常態化しても「おかしい」と異議も唱えず、ちょっと後輩がめんどそうな顔をしてても居酒屋に連れて行って終電間際まで騒いで帰ってくる日々。良くなかったなぁ。同僚にも家族にも申し訳ない。

今でこそ、どうやって早く帰るかと考えて生きているけれども、家族と一緒にいるものだと思う。若い頃はまわりに家族がある同僚が少なかったから、それに合わせてしまったのもあるけれども、もう少し家庭を顧みる人生で良かったと思う。
ということで、家でネットゲームしてたあの頃は、いつも家にいて良かった気がする。いや、家にいてもそれはダメだろ、お前。

英語をやっておけ

英語をやる機会も、外人と仕事を一緒にする機会もたくさんあったのに、そこでものにしてこなかった自分には寒気を覚える。
ちょっと英語を読めるようになってきたので、まま良くなったものの、こんな事ではダメすぎてダメ。おかげさまで昇進にも影響したし、仕事のはばも狭めたし、いろいろな可能性も自分で埋めたままにしてしまったなぁと、本当に後悔。外資系だから英語が必要なんじゃなくて、自分のやりたいことをやろうとしたとき、自分の望んだものを手に入れようとして時、二十歳から今までの間に、何度も英語を話すことができなくて仕事でも、プライベートでも後悔するべきコトが多くあった。人生、先は長い、後でも何とかなるさ。と思っていた自分をひっぱたいて廻りたい。

英語にかかわらず、その頃その頃でお勉強しっかりせよと思ったけど、あれ以上の勉強は多分不可能だったかな、他の勉強は良くやったと思う。これがオレの限界だろう。

結局のところ

よくよく、時間というものは有限であって、自分はこの先何をするのか、なにをしたいのかを明確に計画を練ることができなかったこと自体が、自分の反省点だろうと考える。
30半ばになってから、突然、自分の人生に意義を見いだして生き方を変えてきたけれども、どうしてこれは二十歳のときには気がつかなかったのか。「若さ」と言うことは、それだけで罪だな、なんて考える不惑の成人式でした。

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