先日、娘が卒業しました。もう少したつと、また別の娘が卒業します。卒業式祭です。ということは、来月は入学式祭です。
ついでに言うと、女子校の入学式なので、女子高生祭です。娘ばっかりで良かった。
何度卒業すれば自分自身にたどりつけるのだろう
最後の卒業式からもう20年も経つわけですが、卒業式で泣く人の気持ちがずっと分かりませんでした。
先日の娘の卒業式で、退場する子どもたちの顔をぼーっと眺めていましたが、男子だと1割くらい、女子はおよそ半数は泣きながら退場していました。多感な年頃でしょうし、ちょっとした気持ちの高ぶりでも泣いてしまうでしょう。ただ、あっしは、小学校、中学校、高専の各卒業式では笑って過ごしていたので、なんで泣くんだろうかと考え込んでみました。まぁ、考えたところでよく分かりませんが。今回の卒業式には嫁と母親がいて、まぁたまには口を利いてあげないと、存在を否定されそうだったので、そんな内容の話をしていたんですね。
そう言えば、うちの娘どもも泣いたりするようなことはないです。長女に至っては、卒業証書授与式の最中、全校生徒の中で一人だけ寝ているという素晴らしい逸材です。まぁ私に似通ってしまったんだろうな、可愛そうな娘だろうと思いながら、母と嫁に「卒業式という記念式典など、長い人生の中における1つのマイルストーンにしかないのに、なぜ泣くようなことがあるのだろう」と尋ねたら「そのマイルストーンを重要だと考え、思う人がそれだけ多くいるのだ、人の気持ちも分からないこのクズめ」と袋だたきにあいました。こわい人たちです。
個人的に卒業というものは、新しい扉を開くためのイベントの終わりを示すだけだと思っていたのですが、「終わりよければ全て良し」とする日本人の考え方と照らし合わせてみると、「卒業」というのは普通のイベントとはちがうのだ、区切りというものは今までのものからの脱却を示すものだと考えると良いのでしょうか、あっしにはよく分かりません。ただ、入学式で泣く人はほとんどいないですし、会社から辞めるときに泣く人もいることを考えると、何かから卒業することは、それだけ感慨深いものと言えます。きっと、卒業をする場所にいたその期間のことを走馬燈のように振り返ると、いろいろな気持ちが錯綜して感動するのであろうと予測します。
ただ、卒業したからと言って、何か変わるのだろうかというと、それほど変わらないと思うのですね。あたしゃ、あわなくてもいい人と顔を合わせることもなくなるし、今までの面倒なしがらみを捨て去ることができる安堵のほうが心を占める割合が多いと思うんです、ホント悪い奴ですね。合理的とも言われたことがありますが、終わりは始まりの合図なので、泣くほど思いにふけることもないんです。死ぬまえだったら分かりませんけど。
だからと言って、泣くような感情がない冷酷無比な悪役上等かと言うとそんなことは泣く、感動する一面もちゃんとあるんです。人が成長して、その結果を残せたときに、とても心を揺さぶられる気がします。例えば、Perfume がドームでライブができるようになった、世界でツアーできるようになったとか、サッカーであればワールドカップへ出場した、ワールドカップで勝利した、トーナメントへ、と自分の興味あるものが記録を残す舞台に登ったとき、はじめて感動できます。一応、赤い血は流れているようです。
このように考えると、自分の成長にはあまり興味がなくて、自分の思い入れのある人や事柄が、それ相応の評価を受けることに価値を見いだしているのかなと考えることができますね。
ということで、卒業式で泣く人はエゴイストで、泣かないオレは博愛主義者という結論で良いでしょうか?